閃きの力

一昨年の入院で、発達障害側との繋がりとなった私
だが、答えはそれだけではない
隣の市に入院だったことで隣の市の人たちの繋がりと起こした
ビジネスマンや本格的なカミシバイの人との
ビジネスマンと言うのは、子供の頃からは仕事としている人であり、自分の仕事ぐらいはもう持っている人であり、仕事としても普段の人が効いても理解は出来ない、こんなことてあったの?と思わせる仕事はしている、私も隣の市に入院した時に話は、聞いてきた
本格的なビジネスマンの人の話
精神病院などには入院する時は、入院している人だった
ビジネスマンと言うのは、頭はそれだけいい人だ
本格的なカミシバイの人も見てきた、話は聞いてきた
小さなメモには、筆記用具で毎日、自分の話や何か話を書いている人だけに、その話や小説は、私小説、物語だったり、夢小説物語的なことは、書いている人だ
小さなメモに話を書いていることが好きな人だった
だから、内の地区とは、作りは違う、考えが違う人たちだった
人とは、あまえていたかも知れない、自分というのに
自分と言うのは、自分には優しくはなってしまう、自分さえ良ければいいと思えてくる
自分を大事にするとは、自分をあまやかすことではない
自分というのを作り出したり、考えを出したりはして、知恵、イメージなど閃かせていくことであり、自分と言うのを知っていくことだ
王様ごっこや自分さえ良ければいいでは、自分と言うのは何も作れはしない
人として、自分としてのことは知らないと人は怠け者となるだけだ
それは自分たちが引きこもりとなっても、世の中のプログラムにより、作り出したことでのプログラムだ
自分というのを知り、人を知る、それが自分と作り出していくことだ
自分の立場というのは、クズカスだろうがそれでもいいことだ
私もクズカスと今も言われるモノであり、笑われ者だ
だが、人というのは、クズカスにでもならないと、わかってこない、自分というのは
私はキチガイと子供の頃は、あだ名はあった
みんなからは笑われ者のままだし、今も家の人もバカアホとは言ってくるぐらいでもあり、みんなからはワケわからないとも言われる
世の中、助けに来てくれる人がいないなら、もう自分で立ち直るしかない世の中であり、立ち直れないなら、自分自身で探してだしてくるぐらいでもしなくてはいけない
身近なモノが自分の助けとなってこそのクズカスだ
自分にあるモノが
家にあるモノなどが
それでも見つからないなら、景色と見たり、散歩に行ったり、寝ればわかる
実はこんなことやあるモノが自分の閃きの力になるからだ
ただ、こんなことしていただけなんだがという時に閃き力と出てくる
こんなモノと見ていたんだが、もう何も浮かんでこない、それで景色と見てたりしていんだが、天上と見ていた時に閃き力が出てくる時とある
こんなことか?と答えが
ただこんなことしかしてないだがと答えが
閃きの力となる